tataraの頭の中

個人の思い考え知識をつれずれなるままに

7年前のゼミ論「生きがいの創造」

長文失礼します。

大学は法学部に行っておりましたが、テーマは生きがいの創造。卒論代わりのゼミ論です。立派な題名をつけちゃいましたが、論文というよりかは読書記録的な、、、

まあでも読み返してもハッとさせられることも書いてて、なかなかおもろいかも??

 

 

 

 

目次
はじめに 2
第一章 生きがいとは 3
第一項 定義 3
第二章 生きがい感の現状 5
第一項 大学生の生きがい感 5
第二項 高齢者の生きがい感 5
第三項 高齢者の生きがい感の現状 6
第四項 生きがい感の動向 6
第三章 様々な生きがいや人生観 7
第一項 松下幸之助 7
第二項 稲盛和夫 9
第三項 岡本太郎 11
第四項 斎藤一人 12
第五項 萩本欽一 14
第六章 ケント・M・キース 15
第七項 斎藤茂太 17
第八項 長谷部誠 18
第九項 野村克也 20
第十項 飯田史彦 22
まとめ 24
第四章 生きがいの選択 25
第一項 教育 25
第二項 読書 25
おわりに 26
参考文献 27

 

 


第一章 生きがいとは


第一項 定義

 

生きがい生きがいといっても人によってさまざまな解釈ができる言葉なだけにはっきりと定義付けを行う必要がある。明鏡国語辞典によれば、生きていくための支えとなる目標や心の張り合いとある。大辞泉によれば、生きるに値するもの。生きていくはりあいや喜びとある。辞書の定義をみると、生きがいには二通りの意味合いがあるようである。例えば、あなたの生きがいはなんですかと聞く時に使う、生きがいの対象そのものと、例えば、あなたはどういう時に生きがいを感じますかと聞く時に使う、生きがいという感情の二通りである。生きがいの創造を考えるとき、生きがいを感じられるものそのものを作るのではなく、生きがいを感じる方法を作っていこうとするものであるので、今回は生きがいという感情を検証していく方が適しているといえる。
 さて、生きがいという感情=「生きがい感」 とはどういう意味であろう。まず、過去の研究者たちによってなされた定義を整理してみることにする。
大きく分けると、3つに分けられる。

 


①社会的価値を含むもの


社会的価値とは、その人の主観的な価値ではなく、周囲の人や社会全体にとって価値となるもので、自分が社会に貢献しているという実感が生きがいであるとするものである。だから、自分だけの自己満足、例えば酒やかけごとが生きがいとはいえないとして、より人生の価値といえるものが生きがいだとしている。
自己実現を含むもの
自己実現を含むものは、成長欲求としての自己実現を目指すこと、もしくはその過程において感じられるものが生きがいだとしている。単なる喜びよりもより高度な人生そのものに影響を与えるような創造的な自己実現そのものが生きがいという定義もある。

③主観的なもの


 生きがい感、つまり感情というものは主観的なものであるという大前提から、本人にとっての充実感や満足感を満たすような感情が生きがいだとしている。主観的なものだから社会的価値とは無関係で、本人にとって精神的に生きる意欲を増進させるものであれば足りるので、酒等に加え麻薬もしくは憎しみや執念などのネガティブな非社会的なものも生きがい感を感じていると言える。
 これらの定義を考慮したうえで現時点での自説を述べる。


生きがい、生きる甲斐、つまり生きる価値であり、生きる目的といえる。人が生まれ、人が生き、人が死ぬ。その流れの中に自分が存在する意味は何だろう。その意味はおそらくわからない。生きること自体がその理由を見つける終わりなき旅なのかもしれない。ただ、一つ確かなことは、人はすごく小さな存在で世界、地球、宇宙から見るとただの点でしかないこと。その点が一つなくなったごときではなにも変わらない。人を歯車に例えて社会というものを回しているとする。一つが回らなくなったとしてもいくらでも代わりが存在する。それが大きな歯車だったとしてもすぐにそれに見合う歯車は現れるし、小さい歯車の集まりでも代わりは務まるだろう。そう考えると自分の存在はあってもなくても同じように思えるかもしれない。しかし、だからこそ、生きる、周囲の人、世界の人、地球、宇宙のために生きる必要がある。自分のため、自己満足のために生きるのではない。利他のために生きるのである。そういうと自己さえも満足させられないやつが他人、世界を幸せにできるのかという反論や、自分の利益を追求することが周りにとって良いことならばそれで良いではないかという反論があるかもしれない。しかし、大は小を兼ねるというではないか。自分の幸せを達成しようとすることを富士山に登ること、他人の幸せを願うことをエベレストに登ることに例えると、富士山に登ろうとする人はエベレストには到底登ることはできないし、エベレストに登ろうとする人は富士山なんて悠々登ることができる。逆にいえば、富士山にも登れない人は、エベレストも登れない。富士山も登ることを前提として、エベレストにも挑むのである。例えエベレスト登山に失敗したとしても。
つまり、目指すところが高いと自然ともたらされる結果もより良いものとなるのである。
だから、生きることは自己を想い、他者を想うことであり、生きがい感とは、自己、他者の幸せを想う、自己、他者を想って行動する。つまり「人を“愛”する際に感じる感情」といえる。それが満足感なのか充実感なのかはそれが主観的なものであるがゆえに人それぞれとしか言えない。また、生きがいが利他の感情も含むので、それは社会的に価値のあるものといえる。行き過ぎた酒等や非社会的な麻薬等のものが仮にそれが生きる糧となっているとしてもそれは生きがいではない。なぜなら、それが自分を愛しているとは言えないからである。もう一度言おう。生きがいとは、“”である。

 

 

 

第二章 生きがい感の現状


この章では、前章での生きがいの定義とは別に、生きがいをどんな時に人は感じるのかを考えていく。


はじめに


生きがいとは何だろうか。生きがいのある暮らしとは何だろうか。世の中には多くの人が暮らしているが、いったいどれほどの人が生きがいを感じて生活しているのだろうか。現代の日本にはうつ病を抱える人がいたり、高齢化に伴い寝たきりの人が増えたり、自殺が問題になるなどと様々な生きることに対する問題が生じている。こういった時代だからこそ生きがいというものに注目すべきである。


生きがいがどういったものかは次章で述べるとして、まず現代の日本には3万3千人(平成21年 )もの自殺者がいる。これは1日当たりでは約90人が自殺していることになる。世界的に見ても日本は先進国の中ではトップクラスに多いとされている。世界的にみればかなり豊かで、不況とはいえそれなりに経済も安定しており、治安もそれなりによく、平和で、大半の人にとっては暮らし易い日本において、これほどの自殺者がいるということは、物質的には満たされても、精神的にどこか満たされない虚しさのようなものを抱えている人が多いのではないだろうか。 年代別に自殺者をみると50代、60代、40代の順になっており、中高年に特に多いといえる。そして、原因は健康状態や経済、生活状況などが主となっている。性別で見ると自殺者の約70%は男性となっている。これらの統計から考えると、どうも“仕事”、そして、“健康”というものが大きくからんでいるように思われる。このキーワードが生きがいというものに大きく影響しているようである。


 また、人は考えることによってさまざまなことを決定し処理し行動している。ある物事を捉えるにしても、考え方次第でプラスにもマイナスにも考えることができ、そしてある行動をするにしても、考え方次第で方法も順番も効率も出来栄えも変わってくる。つまり何が言いたいのかというと、人は深く考えることができる動物であるがゆえに、そして何事も考え方次第であるがゆえに、考え方、思考というものが最も大事であるということである。だから、生きがいというものを見ていくうえでも“考え方”というものが重要となってくるのである。


 これら3つのキーワードを中心に生きがいというものを考えていこうと思う。
 次に、生きがいというものをテーマに選んだ理由は、簡単に言うとボランティアでさぬき老人ホームに行って生きがいっていったい何だろうと思ったから。寝たきりで生きるのに精一杯に思える人の生きがいは何か、新たに生きがいを作ってあげられないだろうかと感じた。
 

 


第一項 大学生の生きがい感

 

 生きがいといった人間哲学的なことを考え始めるのはおそらく青年期の大学生あたりの時期がちょうど当てはまると思われる。では、いったいどのようなときに生きがいを感じているのだろうか。自由記述式調査をもとに行われた調査 の結果から考察してみる。調査の結果、大学生の生きがい感は4つに分類された。生活に満足感があるといった「現状満足感」因子、人生を楽しんでいるといった「人生享楽」因子、自分が必要とされていると感じるといった「存在価値」因子、物事にやる気を持っているといった「意欲」因子の4つである。この調査の結果から、現代の大学生の生きがい感とは、「自らの存在価値を意識し、現状に満足し、生きる意欲を持ち、人生を楽しむ過程において感じられるもの」 であると分かった。
 
第二項 高齢者の生きがい感

 

 生きがいというものが特に注目されやすい世代というのはやはり高齢者であろう。それには、仕事を退職したり、配偶者と死別したりと生きがいに大きくかかわる変化が起こりやすい世代であるのかもしれない。では、一項と同様に見ていく。同様にこの場合も4つに生きがい感は分類 された。何か成し遂げたと思えることがあるといった「自己実現と意欲」因子、今の生活に張り合いを感じているといった「生活充実感」因子、まだ死ぬわけにはいかないといった「生きる意欲」因子、家族や他人から必要とされているといった「存在感」因子である。この結果によって導き出された生きがい感の定義は、「毎日の生活の中で、なにごとにも目的をもって意欲的であり、自分は家族や人の役に立つ存在であり、自分がいなければとの自覚をもって生きていく張り合いの意識である。さらには何かを達成した、少しでも向上した、人に認めてもらっていると思えるときにも、もてる意識」 とされている。


第三項 高齢者の生きがい感の現状


 大阪の老人福祉センターにおいてなされた生きがい感を測り、得点化する調査 に従い考察していく。まず、注目すべきなのは、年齢と得点に男女ともに負の相関がみられた点である。つまり生きがい感が高齢になるにつれて低下しているということである。健康や配偶者等の人間関係の変化、仕事の有無等がかかわっているのであろう。つまり、外向性が低いと生きがい感が低下する。なぜなら失った人間関係を埋めようとして、外的に新たに探し出そうとする意欲が低いということである。逆に言うと外向的性格を高めることができれば生きがい感を保つことができるといえる。この性格は人間関係に加え、外の社会に新たな活動を見出すということにおいても重要といえる。
 次に注目すべき点は、80歳代以降の男性は生きがいを外的な活動に求め、活動への熱意が生きがい感を左右しているのに対し、80歳代以降女性は活動の量が生きがいを左右している点である。これは平均寿命が男性より女性が高くなっていることと関係しており、女性は80歳代であっても同世代の友人の影響を受けやすいため、様々な活動に挑戦することに生きがい感を感じているのかもしれない。そう考えると、男女ともに同世代に加え、下の世代の人々と触れ合うという機会を増やすということが生きがい感をえることに役立ちそうである。


第四項 生きがい感の動向


 NHKにより1973年~2003年の間行われた個別面接法による意識調査 の結果を見ていく。情緒的な人間関係や教育に対する熱意などの変化は30年間見られなかった。一方で大きく変わった点は仕事に生きがいを求める人が減少し、余暇に生きがいを求める人が増えたことである。これは高度成長、バブル経済バブル崩壊の流れの中で、内需主導へと移り、レジャー事業に力が入れられるようになったことや、女性の社会進出により、男性は仕事という性的役割分担が後退し、家庭をかえりみることが重要視されるようになったからであるといえる。
 ここまで人々の生きがい感を見て来たが、生きがいを語る時に重要となりそうなキーワードが浮かび上がってきた。


それは、自己実現因子などの個人の内面に関すること②存在価値因子や人間関係などの外との関わり③仕事である。
次章では、これら三つに関連する先人たちの観念を紹介し、分析していく。人生観や仕事観など日本人は普段からじっくり考え、確固としたものを持っている人が特に若者には少ないのではないだろうか。自分の中にしっかりと軸を持っておれば、少々のことでぶれることのない、芯のある強い人間でいることができる。ぜひともそれぞれ十人十色で良い、自分の中に信念という強固な槍を持っていてほしい。


第三章 様々な生きがいや人生観


 この章では、様々な人たちの生きがいや人生観、仕事観などを紹介していく。それらから一章で行った、生きがい=「人を“愛”する際に感じる感情」という定義付けの妥当性を検証していく。

第一項 松下幸之助


松下は、「人間の主観的な目的も、客観的な自然の理法、真理も、生成発展の原理に従う、繁栄、平和、幸福である。そのためには素直な心を以って、各自の天分を理解し発揮しようとすることが必要である」と述べている。人生の目的を達成するには、素直な心を以って、各自の天分を理解し発揮しようとすること。では、どうすればいいのだろうか。以下で詳しく見ていく。


①天分


自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない。二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
 あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
 他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
 それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。


②素直な心


「それは単に人にさからわず、従順であるということだけではありません。むしろ本当の意味の素直さというものは、力強く、積極的な内容をもつのだと思います。つまり、素直な心とは、私心なくくもりのない心というか、一つのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。そういう心からは、物事の実相をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから、素直な心というものは、心理をつかむ働きのある心だと思います。物事の真実を見きわめて、それに適応していく心だと思うのです。」

素直な心は本来個々に備わったものである。だから、そうなることを常に心がけ、自分なりに工夫し、実践に努めていけば、誰でも素直な心になれる。どうして素直な心が現れ難いのかというと、年を重ね、体験をつむにつれ、良くも悪くも、いろいろな知恵、考えや心がつみ重ねられてきて、素直な心が表面に出にくいようになってくるから。人間が互に素直な心が働かないようになると、互いに対立や争い、誤解など、好ましからざる姿が生じてしまう。お互い人間はこれまで長い歴史を歩んできた結果、様々な分野で偉大な成果を上げ、好ましい進歩発展の姿を生みだしてきたが、世界各地での紛争のように、人間同士の関係は未だに大きな問題が残されている。つまり、人間関係万般にわたり、素直な心になるということがきわめて重要である。

「お互い人間がつねに素直な心になって生活し、活動を営んでいくようになったならば、そこからは、はかりしれないほどの好ましい姿が社会の各面に生じてくると思われるからです。いいかえれば、あらゆる面において人間道 が実践されるようになってくるからです。したがって、お互い人間の偉大な王者であるという本質といったものも、十二分にあらわれてくるのではないでしょうか。したがって、そこにはお互い人間の共同生活がつねに物心ともの豊かさをともないつつ向上していくというまことに好ましい姿が保たれ、一人ひとりが身も心も豊かに、喜びをもって楽しく暮らしていくこともできるようになるのではないかと思うのです。このようなことを考えてみても、お互いが素直な心になるということは、何にもまして非常に重要であり、また大切なことではないかと思うのです。」

以上のように、素直な心を以って、各自の天分を理解し発揮しようとすることで、人間の主観的な目的であり、客観的な自然の理法、真理である、生成発展の原理に従う、繁栄、平和、幸福が達成できるだろう。なかなか難しいことを言っているようだが、結局は、松下の次の一言に尽きるのかもしれない。

ビジネスパーソンにとって最も重要な責務は何か」と問われたとき、松下は以下の用に答えた。
「まあ、簡単にいうと、みんなに愛されることですね。」

 

第二項 稲盛和夫


「現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は人の心を高め、魂を練磨することにある。」
京セラ、KDDIの創業者である稲盛和夫はこう語る。魂は生き方次第で磨かれもすれば曇りもする。その生き方の指針となるのが、理念や思想であり、哲学でもある。人の人格を形作っているのは、生まれながらの性格と人生を歩み学ぶ哲学である。だからいくら才能を秘めていたとしても哲学という根っこをしっかりと張らなければ、人格という木の幹をまっすぐに成長させることはできない。彼の人生の哲学の根底にあるのは「人間として正しいかどうか」というシンプルな道徳心。これに沿った経営により事業を成功へと導いてきた稲盛の生き方を紹介していく。


①考え方


人生をよりよく生き、幸福を得るにはどうすればよいか。それは次の方程式によって表現できる。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」 。能力は、才能や知能で、先天的な資質のこと。また、熱意とは、事をなそうとする情熱や努力する心のことで、こちらは自分でコントロールできる後天的な素養。どちらも0~100点までつけられる。 “掛け算”であるので、例えば能力がなくとも、情熱があれば、能力が勝っていても熱意に乏しい人よりも良い結果を得ることができる。
そして、考え方が最も大事な要素で、この考え方次第で人生が決まると言っても過言ではない。なぜなら考え方はプラス100点からマイナス100点までつけられるから。例えどんなに熱意と能力があっても、考え方の方向が間違っておれば、それだけでネガティブな結果を生んでしまう。
ではプラスの考え方とはどういうことだろうか。それはシンプルに、常識的に判断されうる「良い心」のこと。つねに前向きに、感謝の心をもち、善意に満ち、思いやりがあり、足るを知り、利己的でなく、強欲ではないなど、ありきたりだが、決して軽んじてはいけないことである。

 

②仕事


 魂を磨き人格を練磨するために、もっとも大事で有効な方法は、働くこと。一生懸命精進し働くことである。労働は収入を得るためだけのものではなく、心を磨き人格をつくっていくという効果がある。自分がなすべき仕事に没頭し、工夫を凝らし、努力を重ね、一日一日を「ど真剣」に生きる。「ど」がつくほど真摯に、真剣に生きる。働く場は一番の精神修養の場であり、働くことはすなわち修行である。
 日々の仕事にしっかりと励むことによって、高貴な人格と、すばらしい人生が得られることを心にとめておいてほしい。
 また、働く喜びは、この世に生きる最上の喜びである。その喜びは、労働は苦い根と甘い果実をもっているという格言の通り、苦しさやつらさの中からにじみ出してくるもの。だからこそ、働くことで得られる喜びは格別で、遊びや趣味ではけっして代替できない。まじめに一生懸命仕事の打ち込み、つらさや苦しさを超えて何かを成し遂げたときの達成感。それに代わる喜びはこの世にはないのである。
 人の営みのうち最上の喜びを与えてくれる労働において、あるいは人生の中でもっとも大きなウェイトを占める仕事において、充実感が得られない限り、私たちには物足りなしさしか残らない。現在、労働は収入を得るための苦役だから、楽してより多くのお金を得ることが合理的であるという考えがある。余暇を精神的余裕の母体と考える欧米流の労働スタイルを否定するわけではないが、働くことの価値を軽視することは間違いである。遊んでいる時よりも働いているときに喜びを感じる精神性。単純労働であっても、創意工夫を働かせ仕事を楽しくする術。他人から強要され「働かされる」のではなく、自分が労働という行為の主体となり「働く」知恵。そういうかつて日本人が持っていたものを忘れてはならない。

 

③利他の心


 それは、慈悲の心、愛のこと。シンプルにいうと、「世のため、人のために尽くす」ということ。家族のために働く、友人を助ける、親孝行をする・・・そうしたつつましく、ささやかな利他行が、やがて社会のため、国、世界のためといった大きな規模の利他へと広がっていく。そして自分にも返ってくる。人の心がより深い、清らかな至福感に満たされるのは、けっしてエゴを満たした時ではなく、利他を満たした時である。
また、利他の心の大切さを表す例え話がある。
「あの世には、地獄も極楽もある。ただ、両者には想像するほどの違いはない。外見は全く同じようだが、唯一違うのは人々の心だという。
――地獄にも極楽にも同じような大きな釜があり、うどんが美味しそうに煮えている。ところがうどんを食べるのには一苦労で、1メートルほどの長い箸を使うしかない。
 地獄では我先に食べようと争って釜に箸をつっこむが、うまく口まで運べない。しまいには、他人のつかんだうどんを奪い取ろうと争い、うどんは飛び散り誰一人食べることができず、だれもが飢え、やせ衰えている。
 一方、極楽では、だれもが自分の箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口に運び「お先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやって食べた人も「次はあなたの番です」とお返しに食べさせてあげる。だから極楽では全員がうどんを食べることができ、満ち足りた心になれる――
 以上の様な考え方を稲盛は持っている。最後にもう一つ。「運命は宿命ではなく自分の心次第」。人生のキャンバスには、思いという絵の具であなただけの絵を描いていけるのだ。

 


第三項 岡本太郎


大阪万博太陽の塔の創作で有名な岡本太郎の人生観を紹介する。
岡本太郎は出る釘である。自分の生きるスジを貫く。例え失敗したとしても。それに、一般的な常識としての失敗も成功も、他人が決めた基準でしかない。自分が成功と思えば成功である。他人と比べても意味がない。自分がどうであれ、それが自分なのだ。それは“絶対”なのだ。
他人ではなく、己自身こそ最大の敵として容赦なく闘い続ける。常にベストをつくす。そして“俺は生きた!”といえる人生を歩む。
「みんなどうしても、安全な道の方を採りたがるものだけれど、それがだめなんだ。
人間、自分を大切にして、安全を望むんだったら、何も出来なくなってしまう。計算づくでない人生を体験することだ。――(中略)――
ぼくは、ほんとうに自分を貫くために、人に好かれない絵を描き、発言し続けてきた。一度でいいから思い切って、ぼくと同じにだめになる方、マイナスの道を選ぼう、と決意してみるといい。
そうすれば、必ず自分自身がワァーッともり上がってくるにちがいない。それが生きるパッションなんだ。」


いま現時点で人間の一人ひとりはいったい本当に生きがいをもって生きているのだろうか。ただ惰性的に生活しているだけでは本質的に生きているとはいえない。暮らしは昔に比べて楽になってはいるが、そのために生命の緊張感を失い、逆に空しくなっている。システムの中で安全に生活することばかり考え、危険に体当たりして生きがいを貫こうとすることは稀である。己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生き抜かなければならない。そうしてはじめていのちが奮い立つ。個人財産、利害得失だけにこだわり、ひたすらにマイホームの無事安全を願う現代人のケチくささ。卑しい。人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。
生きるもよし、死ぬもよし。ただしその瞬間にベストをつくすことだ。現在に強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はない。 一人ひとり、になう運命が栄光に輝くことも、また惨めであることも、ともに巨大なドラマとして終わる。
それでよいのだ。
無目的にふくらみ、輝いて、 最後に爆発する。


岡本は、 和を大切にする日本人にとっては、異端児的な生き方を、生きがいのある生き方としている。 自分の生きがいは自分で決めるから全てに共感できた訳ではないが、常にベストをつくし、常識に捕らわれず、前向きに己と対峙し、弱さを認め、己と闘うその生き方は見習うべき所だ。

 


第四項 斎藤一人


 納税額日本一の実業家、斎藤一人の生き方を紹介する。
「人生とは、旅みたいなもの。
 旅というのは、道のりを楽しむレジャーでしょ。
 だから、周りの人が笑顔になることを考え、それを行う。」

 

①人を喜ばせる


本当のしあわせ。それは、人を喜ばせること。それは、世界から貧困をなくすといった大きなことでなくても良い。自分にできることでよい。喜んでくれると相手も自分も嬉しい。さらに「どうしたら喜ぶだろうか」と考えている時点で既にわくわく。これを第三のしあわせと呼ぶ。
仕事も、「どうしたらお客さんに来てもらえるだろうか」「どうすれば買ってくれるだろうか」とお客さんを喜ばせることを考えるもの。だから、仕事は楽しいもの。難しいものでもない。ただ物事の本質を見抜いたうえで、会社やお客さんの役に立つこと。そして、「楽しい」も加味して。

「お役に立つ上に、自分が職場に行ったら、そこが明るくなっちゃう、ぐらいな人間だったら、会社にも仲間にも喜ばれて、大切にされるからね」

 

②明るく、明るく、どこまでも明るく


 財政赤字、TPP、少子高齢化など人々の不安をあおる問題は山積みとなっている。無駄に恐れを抱くのは損である。ただ、何もしなくてもいいのではなく対策は必要であり、むやみに怖がる必要はないということ。世間が、「○○だから、ダメだ」とか、どんなに暗いことをいっていても流されてはいけない。自分は発光体なのだ。人の心を明るく照らしてあげるのだ。その心構えで生きる人間の前に、光り輝く道が開けてくる。

 

③成功法則


 成功には二種類ある。社会的成功、そして人生の成功。世間でいわれる成功は前者。社会的成功も良いことではある。しかし、人に好かれること、愛されることのない人生はさみしい。はたしてそれは成功と言えるのだろうか。どちらかを選ばなければならないわけでもなく、どちらの成功も同時に得ることも可能である。その成功法則は五つある。


ⅰ)自分のいいたいことをいって、「あなたが正しい」
 「この世には、人の意見を聞きにきたんじゃないよ。自分の意見をいいにきたんだよ」
ただ争いにはならないように反論があれば「相手が正しい」ことにしておく。狭い道で人とぶつからないように避けるごとくに。この例えでいうと、自分の意見があるのに言わないのは、道を歩いていて人とぶつかるのが嫌だから家から出ないのと同じである。

 

ⅱ)義理と人情が一番
自分は、これだけは許せないというものがなければならない。例えば友達を馬鹿にした人を許さないというような。
 勝者は謙虚にして、相手に花を持たせる。
自分が世話になった人には恩を返す。
こういった義理と人情がこういった時代だからこそますます大切である。

 

ⅲ)「見た目」と「いう言葉」
 昔は家柄の時代。次に学歴の時代が来て、今は魅力の時代。
魅力とは「見た目」と「何をいうか」である。もちろん行動も伴っていなければならないが、ちゃんとした身なりをして、気のきいた魅力的な言葉をいう人で行動の伴わない人はほとんどいないだろう。

 

ⅳ)「一〇〇%、自分が悪い」
 生きているといろいろなことが起こる。うまくいかないときは、「一〇〇%、自分が悪い」と考える。周りの人や環境や自分を責める意味ではなく、自分のやり方を変える方向にプラスに考える意味で。そうすれば自ずと道は開ける。

 

ⅴ)無限の可能性を信じる
 周りの人の可能性を三十倍にして、見てあげる。
誰かのために役に立ちたいと思い、努力していることは絶対自分のためになる、「人の笑顔が見たい」と思ってやったことが絶対無駄にならないように、この世はなっている。
だから「君には能力がある」と言ってあげる。信じてあげたことは絶対無駄にはならない。

「あなたが一番信じられない人間って、自分でしょ。だったら人を信じてごらん。人を信じ続けていたら、段々、段々、「自分も同じ人間なんだ」って。段々、自分を信じられるようになる。」

 これら①~③を守ることで、人は愛される人生を送ることができる。

 

 

 


第五項 萩本欽一


コメディアン萩本欽一の人生観について紹介する。
彼は人生において“運”というものを大切に考えている。運で人生が動いていると考えると、つらいときには、今は運の芽が育っているときだと楽になれ、逆に上手くいっているときは、運に運を重ねると不運になるだろうと謙虚になることが出来る。
運を考えるときは、運は最終的に±0になるということが基本。ただその振れ幅の調整は可能だ。
例えば、仕返しすると運は消えていく。つらいことがあればそれは運が貯まっているということ。でもそこで愚痴をこぼしたりヤケになったりすると運は消えていきマイナスにもなる。
逆に貯める方は、例えば、人と違う行動をとること。
彼の次男が予備校までいって大学受験止めて就職した時の話。そのとき彼は『人生の価値は当たり前のことでは計れない。無駄にこそ価値がある。人がやらないことに運がくるんだ』と言ったそうだ。
また、運は言葉で変化する。
ちょっとした言葉の使い方の違いで運は消えていく。運の神様が嫌うのは否定の言葉。例えば、彼が子供のころ空き地で野球をしていて、隣の家の窓ガラスを割ってしまい、謝りにいったときに家のおじさん言われた言葉。 「ガラスなんて割れたっていいんだよ。それより今でっかい声が出たな。子供は声のでかいほうがいいんだ。もういいから、早く帰んな」
彼の母親の言葉。 彼の成績が悪くて250人中210番になったときに、「まだうしろに40人いるわね」
人の手伝いをしてリンゴをもらった彼への言葉。「人さまからものをもらったら親切にならないのよ。リンゴをもらわなければもっといい子だったのに。今度からそういうときはお断りしてね」
これらの言葉のように、どんな悪いことがあったとしてもあくまで前向きに、どんなに良いことをしても謙虚に、という姿勢を貫くことで運は失われないし、運は貯まっていく。

 

この運を意識していると、どんなつらいことも、自分が乗り越えるべき壁で、必ず先に光があることを希望として頑張れる。どんなに調子がよくとも、それには必ず終りがある。どんなに良いことをしても、おごり高ぶってはいけない。つまり、謙虚でいることを意識できる。

 

 

第六章 ケント・M・キース  

 

 ニューヨーク生まれの彼は、ハーバード大学在学中に高校の生徒会のリーダーたちを激励すべく150回以上の講演を行っていた。その活動の一環として小冊子として1968年ごろに発行されたのが、以下の逆説の10カ条 である。


1、人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。


2、何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。


3、成功すれば、嘘の友達と本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功をしなさい。


4、今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。


5、正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。


6、最大の考えをもった、もっとも大きな男女は、最小の心をもった、もっとも小さな男女によって打ち落とされるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。


7、人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。


8、何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築き上げなさい。


9、人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。


10、世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちをうけるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

 


 この十カ条を受け入れることで、人として生きる意味を見出すことができる。逆説の十カ条を受け入れ、逆説的な人生を生きるとは、他の人を愛し、手を貸すこと。以下の詩 のようにささやかな方法であれ、大がかりな方法であれ、他の人に手を貸す時、自分の人生は無駄ではなかったと思える。

 

 


一つの心が壊れるのを止めることができたなら
私の人生は無為ではない
一つの生命の痛みを和らげることができたなら
一つの苦痛をさますことができたなら
気絶した一羽のコマドリ
巣に戻してあげることができたなら
私の人生は無為ではない


詩人エミリー・ディキンソン

 

 

 


また、本当の自分、あるべき自分になることもそう。誰でも目的を持って生まれてくる。その目的とは、愛する人、友人、社会のために違いをつくりだすことと関係している。
自分自身を含めた家族や友人、隣人などに直接影響を及ぼすような問題に献身的に取り組むことによって、人は生きることの意味を発見することがあるものである。

 “それでもなお”の精神で諦めることなく、大きな心で生きる。人を愛する。そのことが自分の生まれて来た意味や生きがいを見つけていくことにつながる。

 

 

第七項 斎藤茂太

 

歌人斎藤茂吉の長男である、医学博士斎藤茂太の人生において大切にしている言葉を紹介する。

 

①まず機嫌よく振る舞いなさい。それから理由を探しなさい。

 

著者の祖父の物語を紹介します。
経営する病院から、車で出発する国会議員の祖父を見送るために、患者さん含め多くの人が玄関や2階のバルコニーに集まっていた所、バルコニーにいた患者さんが衝動的に車目掛けて飛び降りた。幸いケガはなかったものの周りは騒然となった。そこで祖父はにこやかに、そして限りなく上機嫌を保ち、こう言った。
「今日はとてもいい日だ。患者さんが落ちてもけがひとつしない。これは奇跡だよ。自動車に穴くらいあいたってなんでもない。いや、今年はとてもいい年になるよ」
レーガン大統領の、撃たれて弾の摘出手術の時に執刀医たちに言った一言、
「君たち共産党員かね?」を彷彿させるエピソード。
ピンチをチャンスに変える一言を言える。それには、常に前向きに、上機嫌に振る舞うことが大切。どんな場面でも一言目には明るい言葉を言う。最初に明るい言葉が来ると、それに続く言葉や雰囲気は、自然に前向きになってくる。

 

②能力よりも、意欲が人生を形づくる。

 

意欲は熱意や情熱とも言える。どんなに能力があっても、熱意がなかったり、考え方がマイナスであったりしたらいい結果もでない。逆に能力がどれだけ低くても、苦手な分野であっても、熱意や考え方次第では能力のある人も超えられる。
だから、自分の能力、素質を嘆く必要はない。

 

③様子を見るうちに時間は逃げていく。タイミングはいつも「今」なんだ。

 

 人に与えられた一日24時間の時間は平等である。しかし、時間の使い方は平等ではない。限られた時間を、例えば、仕事の忙しさに感けて有効利用しないのは、怠慢である。時間はないと思えばないし、作ろうと思えばどうにかして作れるものである。もし、やりたいことがあれば、それを実行するのは“今”なのだ。“今”しかないかもしれないのだ。

 

 

第八項 長谷部誠

 


サッカー日本代表キャプテン長谷部 誠。
彼は「心」を大切にしている。心は、よく言われるメンタルを強くとか心を磨けとかいうように、鍛えたり磨いたりするものではなく、「心」は、「調整する」もの。つまり「心をメンテナンスする」「心を整える」感覚で、それを意識して毎日を過ごしている。その結果、安定した心を備え、試合で一定のパフォーマンスを出している。
そんな彼の56の習慣から、五つ選び抜いたものを紹介する。

 

①意識して心を鎮める時間を作る

 

一日の最後に必ず30分間、心を鎮める時間を作る。電気をつけたまま、ベッドに横になる。音楽もテレビも消す。目を開けたまま、天井を見つめるようにして、息を整えながら全身の力を抜いていく。ひたすらぼーっとしていてもいいし、頭に浮かんできたことについて思考を巡らせてもいい。大事なのはザワザワとした心を少しずつ鎮静化していくこと。心をメンテナンスし、翌日に平常心で望むことができる。


②マイナス発言は自分を後退させる

 

悪口や愚痴などマイナス発言は、何も生み出さないし、聞いている周りの人の気分も悪い。 愚痴で憂さ晴らしするのは自分の問題点と向き合うことから逃げるのと同じ。ゆえに逆に愚痴を言わないように心掛ければ、自ずと問題点と向き合える。
陰で愚痴るなら、本人に直接言う方がいい。 仲間内で愚痴の話になれば、やんわり流れをきる。


③感謝は自分の成長につながる

 

関わる人たちにはもちろん、その人を支える家族のことまで思いやれる人になりたい。 感謝する能力は意識次第で伸ばせる。感謝は自分のためでもある。自分が感謝の気持ちを忘れなければ、まわりがどんどん自分にポジティブなエネルギーをくれるはず。
関わる人すべてを幸せにするつもりで働けば、その気持ちは結果として還ってくる。

 

④正論を振りかざさない

 

孔子曰わく「直にして礼なければ即ち絞す」

正義感が強すぎて、真面目過ぎると反って周囲を絞めつけてしまう。
いくら自分が正しいと思ってもそれを人に強要してしまったら誤解を招くこともある。人にはそれぞれ価値観があって、絶対的な正解はない。何か伝えるときにはまずは相手の気持ちも想像しなければいけない。

 

⑤運とは口説くもの

 

運はじっとしていてもやってこない。普段からやるべきことに取り組み、万全の準備をしていれば、運が巡ってきたときに、それをつかめる。ただ、巡ってきた運を生かせるか否かは自分次第である。
アルゼンチンのことわざで「運を女性のように口説きなさい」というものがある。女性のようにこちらが必死になって口説かないと運は振り向いてくれない。


最後に長谷部にとってサッカーとは…

「仕事。愉しい仕事」
情熱を持って、仕事する。好きなことが仕事。苦もあるが、苦さえ愉しめる。自分も見てくれる人も愉しめる。つまり人生を愉しむ連鎖を産みたい。笑顔の連鎖を巻き起こす。
笑顔の記憶。それが仕事へのモチベーションを高めてくれる。

心を整える。人生で高いパフォーマンスを保ち続けるには、心のメンテナンスが不可欠であろう。 人の心は乱れやすく、不安定で、沈みやすい。人は元来なまけ者。歯車に定期的に油をさすように、心の歯車にもやる気を注入してやらないと、すぐに動きが鈍る。成長をやめてしまう。日々をルーティン化し、変化を求めず、現状に甘んじてしまう。
だから、長谷部も心を整え、やるべきことを確実に実行しているのだろう。
あなたの、心の潤滑油はなんですか。
あなたの、やる気スイッチはどこにありますか。

 


第九項 野村克也


 ID野球の生みの親、元楽天監督野村克也。テスト生から這い上がり、三冠王を頭で勝ち取った苦労人でもある野村監督の監督生活から学んできた生き方を紹介する。
 「人生」とは、
「人として生まれる」(運命)
「人として生きる」(責任と使命)
「人を生かす」(仕事、チーム力)
「人を生む」(繁栄、育成、継続)
 人は、運命により人として生まれ、何かしらの使命を持って存在しており、それを果たす責任がある。そして、人を生かす。人のためを想う、人を適材適所に置き生かすといったことだろうか。また、人を生むという一面もある。これは、家族をもつことだけでなく、例えば、仕事で人財を育成する、そしてその意識を継続させ後々まで反映し、繁栄させていく。幕末から昭和初期を生きた政治家後藤新平の以下の言葉も紹介されている。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」
確かに、自分が生きた証を刻み、長きにわたり後世に語られるのは、財産よりも、仕事よりも、後世に役立つ優れた人財を遺した人だろう。そして、そんな人物は人に好かれ慕われる幸せな人生を歩んだことだろう。
 
 彼の人生論において、最も重要なのは「思考が人生を決定する」 ということ。人は生きていく上で様々なことを感じ、考え、判断し、行動している。だから、どう考えたかによってその人の行動は変わってくる。従って人生において考え方は重要である。野村が監督に就任し、最初にするミーティングは、野球の話ではない。人生論や仕事論を説くことから始めるそうだ。「人間的成長なしに技術的進歩なし」という言葉を彼が言うように、人間的に考え方ができていないと技術的進歩にも限界があるのである。以下では、野村の考え方を紹介していく。


①この世に生きるほぼすべての人間は天才ではない。努力を重ねなければ、追いつき追い越せない。


「人間は他者との差や違いで勝負する存在」。そのごくごくわずか差を見極め、埋める欠点、伸ばす長所を判断し、努力を重ねる。特に短所は意識していかないとなかなかよくならない。変化をすることを恐れず、勇気を持って行動していくことが、よりよく生きたいと望むものに求められる資質なのである。困難を超え、無形の力を自分のものとしてこそ、人は心理に向かう。人間の一番美しい姿は「一生懸命やっている姿」。一生懸命やっていればそれを見てくれている人は必ずいるものである。
 また以下の言葉も、この考えの根拠となろう。


「考え方が変われば行動が変わる
  行動が変われば習慣が変わる
  習慣が変われば人格が変わる
  人格が変われば運命が変わる
  運命が変われば人生が変わる」


変わることはなかなか難しい。現状維持を望んだり、変わることが不利になることだと考えたりして、変われない人もいる。しかし、現状維持は衰退を意味する。変化は成長を意味する。変わることは決して何かを失うことではなく、何かを得ることである。変わらなければ成長はない。何事でもそうだが、「敵は己の中にある」ものなのである。そして、「言い訳は進歩の敵」なのである。

 

②人間は無視・賞賛・非難という段階で試されている。


 そもそも人間は他人の評価の中で生きている。自分の自分への評価はどうしても甘い。認められないからと言って愚痴を言っていても何も始まらない。客観的に認められる力の必要性を理解できれば、人の評価が低いことを嘆くことはなくなるだろう。
そして人への評価は無視、賞賛、非難の三段階に分かれている。付き合っても仕方のない者に対しては「評するに値せず」とばかりに無視する。愛情の裏返しは無関心という言葉も存在する。次に、監督の立場に例えて言うと、ひょっとしたら使い物になると思えば、おだてて表面的には賞賛しつつ、つかず離れずの関係を保つ。そしてチームの中心選手ともなると非難という厳しい手段で育てていく。真正面から正直な気持ちで直言をしてやったり、厳しく接したり、叱ったりすることも、立派な愛情なのだと野村は言う。厳しい言葉は期待の裏返しなのであろう。非難を怖がることはない。本当の恐怖は無関心である。

 

③人を生かす、人を生む。


 それはリーダーの仕事である。野村が「組織はリーダーの力量以上には伸びない」というように、組織においてリーダーは重要な役割である。組織の上に立つ者は、どっしりと構えて物事に動じない人物で、大きな器を持ち、「チームの鑑」でなければならない。才覚だけの人間がリーダーとなった組織は早晩滅びる。
 リーダーたる者は、自らの身を正して人をつくり、何かを気付かせ、それが組織に反映されるのを待つしかない。進むべき正しい道を示し、あるべき姿に導いてこそ、真のリーダーといえる。

 

 

 

第十項 飯田史彦


 いのち作家、音楽療法家の飯田史彦。彼の研究から科学的に導き出されたいきがいとはいったいどんなものだろうか。紹介していく。

「生きがい」とは、自分という人間の存在価値の認識から生じる、「より価値のある人生を創造しようとする意志」のことをいう。
 飯田は生きがいをこう定義づけ、生きがいは「自分にも価値があり、その価値をもっと高めたい」という意志を持った瞬間に生じるもので、その源泉が何かは大きな問題ではないとしている。では、自分に価値を見出すにはどういったことをすればよいのか。それは思考法を変えるのである。以下では、心理学をもとになされた退行催眠 を用いた研究や臨死体験、生まれる前の記憶を持つ子供たちの証言に関する研究などに基づき、大学教官や医師、研究者たちから、一定の枠内でほぼ共通すると指摘されている五つの仮説を紹介する。

 

死後生仮説:人間は、トランスパーソナルな(物質としての自分を超えた精神的な)存在であり、その意味で、人間の生命(魂)は永遠である。

人は潜在意識のところで無意識に自分以外のあらゆる存在とコミュニケーションを図りながら生きている。この仮説を前向きに生きるための道具として活用すれば、「自分は決して孤独ではなく、いつ、どこにいても、心の奥で、無数の存在とつながり合って生きているのだ」と絶対的な安堵感を得、孤独という辛いものから解き放たれる。
生まれ変わり仮説:人間の本質は、肉体に宿っている(つながっている)意識体(spirit; soul)であり、修行の場である物質世界を訪れては、生と死を繰り返しながら成長している。
 死が自分の終わりではなく、意識体としての自分は永遠に存在し、何らかの理由で、愛する人々と限りない出会いを繰り返していくのだと仮定することで、死という人生のもっとも基本的な恐怖から解放される。


ライフレッスン仮説:人生とは、死・病気・人間関係などの様々な試練や経験を通じて学び、成長するための学校(学びの機会)であり、自分自身で計画した問題集である。したがって、人生で直面するすべての事象には意味や価値があり、すべての体験は、予定通りに順調な学びの過程なのである。
 全ての責任を自分に求めることによって、かえって「誰のせいでもない」「自分はほかの人から被害を受けているわけではない」「全ては自分のために起きている、順調な出来事」という安堵感や納得感を得られる。

 

因果関係仮説:人生では、「自分が発した感情や言動が、巡り巡って自分に返ってくる」という、「因果関係の法則」が働いている。この法則を活用して、愛のある創造的な言動を心がければ、自分の未来は、自分の意志と努力によって変えることができる。
「どうせ自分にはどうすることもできない」という運命論的な無力感にとらわれず、「自分は運命に翻弄される弱い存在ではなく、望み通りの人生を好きなように想像できる」と自覚し、心が解放され、希望を持てるようになる。

 

ソウルメイト仮説:人間は、自分に最適な両親(修行環境)を選んで生まれており、夫婦や家族の様な身近な人々は「ソウルメイト」として、過去や未来の数多くの人生でも、立場を交代しながら身近で生きる。
これを活用すれば、「愛する人との別離」という大きな恐怖から解放される。
『そで擦り合うも、他生の縁』ということわざのように。


このような思考法を根拠とする、「より価値ある人生を創造しようとする意志」をつまり、生きがいを感じるための思考法がブレイクスルー思考である。

ブレイクスルー思考とは、「すべてのものごとには意味と価値があり、表面的には失敗挫折不運のように見えることも、すべて自分の成長のために用意されている順調な試練である」という信念を持つことによって、「その試練に挑戦するだけで、乗り越えたのと同じ価値がある」と考えながら、人生の試練を気楽に乗り越えていこうとする思考法である。

これらの仮説をただ自分にとって、人生を有意義に生きるために有効だという理由のみによって大いに活用しながら生きてみようではないかということが飯田の主張である。

 

 

まとめ


 では、最後に十人の先人の生きがいを比較していく。まず、十人の生きがいを簡単に分かり易いように表を挙げる。二章で挙げた①自己実現因子などの個人の内面に関すること②存在価値因子や人間関係などの外との関わり③仕事のどれに関連するかも記しておく。

人物      生きがい、人生の目的                   ① ② ③
松下幸之助 /繁栄、平和、幸福。(素直な心で天分を発揮することにより)   ○ ○ △
稲盛和夫 /人の心を高め、魂を磨く。働く。考え方、利他の心が大切。    ○ ○ ○
岡本太郎 /本当の自分を貫く。                        ○ × ×
斎藤一人 /人生は旅。道のりを楽しみ、人を笑顔にする。           ○ ○ △
萩本欽一 /運が大事。前向きに、謙虚に生きる。              ○ × ×
ケント /それでもなおの精神で、愛する人、友人、社会のために違いを作り出す○ ○ ×
斎藤茂太/ 明るく、人生を楽しむ。                     ○ △ ×
長谷部誠/ 仕事、人生を愉しむ。笑顔の連鎖をおこす。           ○ ○ ○
野村克也 /人として生まれる、生きる。人を生かす、生む。          ○ ○ △
飯田史彦 /より価値のある人生を創造しようとする意志(自己の存在価値の認識 ○ ○ ×
 
 これからわかることは4点ある。
 まず、1点目は、10人ともが①の個人の内面において生きがいや人生の目的を見出している点である。自分の人生に何らかの形で折り合いをつけることで、一見儚く、小さな一人の人間として強く生きる意味を見出していく必要性があるということが伺える。
 2点目は、必ずしも生きがいと③の仕事が一致しているとはいえない点である。稲盛は仕事が魂を磨く一番の方法としているが、仕事だけがその方法であるとはしていない。だから、必ずしも仕事が生きがいにつながるわけではなさそうだ。ただ、仕事を生きがいにつなげることも選択肢の一つである。
 3点目は、7人が、②の外との関わり、他者との関わりの中に生きがいを見出している点である。人を笑顔にする、喜ばせる、生かす。違いを作り出す、など自分一人の世界では実現できないことである。人間は独りでは生きていけない。生まれてすら来られない。だからこそ、人に感謝し、恩返しをしていかなければならないのだ。だから七人が②に関連するところに生きがいを持っているのだろう。
 4点目は、誰一人として同じ生きがいを持っている訳ではない点である。似通ったものはあれど、全く同じものはない。そうなると、生きがいの創造を考える時、これが唯一の生きがいですよとはいえないことになる。あくまで個人の自由で、それは押し付けるものではない。何か唯一の生きがいは存在しないのだから、自分の中で納得できる生きがいを見つけていくしかないだろう。
 また、彼らの人生観において、あえて共通点を挙げるとすると、いかに前向きに物事を捉えるかという方法、考え方を見出している点である。だれも物事をマイナスに考えることを良いことであるとは考えていない。つまりは、生きがいとは、人生を前向きに生きることだといえる。だから、生きがい感とは、「前向きに生きようとするときに感じるもの」である。一章で生きがい=「人を“愛”する際に感じる感情」と定義づけたが、愛することも前向きな行為であるので、この定義を内包する形で、生きがいを「前向きに生きようとするときに感じるもの」とする。
 そうすると、生きがいの創造とは、人生を前向きに捉え、前向きに生きることができるような考え方を見つけ出すこととなる。もちろん表からもわかるように、その考え方、人生観は十人十色で、何か唯一のものはない。だから、一人ひとりに見合った人生観を、それぞれが見出していくことになる。では、どうすればそれを見つけられるか。次章で考えていくことにする。

 


第四章 生きがいの選択


 自分の経験だけで人生の意味を悟るにはとても時間がかかり、もしかすると一生わからないのかもしれない。だから今まで生きて様々な経験をした人、先人たちから学ぶ。一つは教育として。もう一つは自学として。前者は国語や算数を学ぶように、先人が積み重ねて来たものを学ぶ。道徳の授業を発展させるような形で。そして、後者は読書である。人に直接教えを乞う方法もあるが、どうしても数に限界があり、自分に合うものが見つかる可能性も高くはない。以下で詳しく述べていく。

第一項 教育


 具体的には、授業科目の主にされている国語、算数、理科、社会、英語と同等くらいの位置づけで、人間学の科目を設ける。内容は、人生哲学や生き方といったものから、人間関係の問題や、コミュニケーション能力に関連するものまで、幅広くなっている。しかしこれといった正解はなく、自分が正しいと思った考え方を選ぶ形。かといって人間の常識上でまちがった例えば自殺は良いものだとかいうものまでを正解にはせず、誤りとして教える。そうすることで個人個人の異なる環境で身につけたものや、先天的な力に加えて、さらに幅広い考え方に触れることができ、自分に適した価値観を手に入れることができる。
 現在、小中学校での道徳教育は、ある程度重要視されているようだが、上記の科目に比べるとどうしても時間数的に少ない。国語や数学も大切で、それらのテストをすることも生徒の理解度や努力を測る一つの指標ではあるが、社会に出て役に立つことは限られている。もっと人間的教育に時間を割いても良いのではなかろうか。よりよい考え方を見つけるためにも、小学生からそういった教育を重視すべきである。

第二項 読書


読書は、人との出会いである。本はその著者が生きて来たことで学んだ知識や知恵が詰まっている。本を一冊読めば、その著者が重要視する知恵が記されているのだから、一生分の経験から得られる知恵を教わることができる。自分で経験しなければ分からないこともあるだろう。しかし、登山に地図を持っていくように、地形がわかっているなら、一から道を探して彷徨うこともなかろう。知恵という備えがあった方が人生という旅には心強い。私自身、大学時代幾度も本に助けられた。どんな悩みも大概は今までだれかが悩み、解決されてきたことである。
また、様々な人の様々な考え方、価値観に触れることで、世の中の多様性をいくらか理解出来る。皆それぞれ違う環境で育ち、成長して、様々な経験をする。似ていることはあるだろうが、それぞれ異なる考え方、価値観を持つようになる。それでいいのである。櫻井和寿も楽曲“掌”で表現するように、価値観は一つになる必要はない。互いに認め合うことができればそれでいい。そのためにも、読書は役立てるべきである。そして、物事を前向きに考えることができるようになれば、生きがいの創造へと繋がっていく。

 

 

 

おわりに


 上記の2つにより、自分なりの人生を前向きに生きることができるような考え方や価値観を身につけることで、その人の生きがいの創造がなされる。
生きがいという感情は、「前向きに生きようとするときに感じるもの」である。
生きがいの創造とは、人生を前向きに捉え、前向きに生きることができるような考え方を見つけ出すこと。
個人的には、現在、生きがい=「人を“愛”する際に感じる感情」と考えている。価値観は変化するものである。変化して然り。それもまた成長。今は自分を含めて人を愛することと考えている。まずは自分を愛していなければならない。自分を愛するとは、自分の弱いところ、人と比べ劣っているところ、それを受け入れ、それでも良い、自分にはこのような良いところ、得意なことがあるではないかと自分という存在価値を見出すこと。そして、人を愛することも相手を受け入れ、相手の気持ちを想いやり行動すること。ポイントは行動するというところ。ただ心の中で思っているだけでは伝わらない。言葉にし、行動で示し始めて人を愛することができる。それはけっして難しいことではない。16頁の詩のように、それはほんの些細なことかもしれない。家族といっしょに過ごしたり、友人の話を聞いたり、コンビニのレジでありがとうといったり、そんなことでも人を愛することといえると私は考えている。
人生は考え方である。いかに前向きに生きるかがすべてである。
このことを忘れず、これから訪れるであろう困難に立ち向かい、一生懸命、素直に、まっすぐ生きて、人を想いやり、愛し愛されるような人物になる、そう誓ってこのゼミ論文を終えることとする。

 

 

 

参考文献
・ケント・M・キース 大内博 訳. (2010). 『それでもなお、人を愛しなさい 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条』. 早川書房.
稲盛和夫. (2004). 『生き方 人間として一番大切なこと』. サンマーク出版.
岡本太郎. (1993). 『自分の中に毒を持て あなたは“常識人間”を捨てられるか』. 青春文庫.
橋上秀樹. (2010). 野村の「監督ミーティング」選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」. 日本文芸社.
・近藤 勉. (2008). 『生きがいを測る 生きがい感てなに?』. ナカニシヤ出版.
斎藤一人. (2011). 『愛される人生』. KKロングセラーズ.
斎藤茂太. (2011). 『いい言葉は、いい人生をつくる ラストメッセージ』. 成美文庫.
松下幸之助. (2004). 『素直な心になるために』. PHP文庫.
松下幸之助[述] PHP総合研究所[編]. (2010). 『人生と仕事について知っておいてほしいこと』. PHP研究所.
長谷部誠. (2011). 『心を整える 勝利をたぐり寄せるための56の習慣』. 幻冬舎.
萩本欽一. (2011). 『ダメなときほど運はたまる ~だれでも「運のいい人」になれる50のヒント~』 . 廣済堂新書.
・飯田史彦. (2006). 『生きがいの創造 スピリチュアルな科学研究から読み解く人生のしくみ』. PHP研究所.
野村克也. (2010). 『野村の実践「論語」』. 小学館.